2001年11月1日

2001年のスーパー耐久も最終戦を迎えることになりました。途中3戦を欠場し車両の開発に専
念し、TI英田ではクラス7位、SUGOではクラス5位と順調に成績を上げることができ、FUJIに
は万全の体制で望みましたが・・・・・

2001年11月1日午前3時、スタッフ3名、ドライバー1名を乗せたイエローマジックワークス・ステ
ップワゴンが、山形のイエローマジックを出発!目指すはFUJI。途中、先発したイエローマジッ
クトランスポーター(10tの新車)と連絡を取り合い移動・・・・・。予定より早く到着しピット設営の
準備をする・・・といってもトランスポーターがまだなのでピットの仕切りを移動と窒素ボンベの
移動のみにとなる、トランポの到着まで他のチームの走行を見学、その中で無限が新型インテ
グラのテストを岡田秀樹選手のドライブで行なっていた・・・・インテってNAですよね〜なんでシ
フトアップやダウンの時にマフラーから火を吹くのでしょうか?そうとうチューニング?やってい
るのでしょうね・・・・。

トランスポーター到着と同時に、イエローマジックのスタッフはピット設営に移る。その間65号
車担当の浅田レーシングのスタッフは鈴木利男選手のドライブで65号車のテストを行なってい
ました。今回のテストはショックアブソーバーをクアンタムに変更したのでサスペンションのセッ
トアップがメインでした。今回のFUJIではもう一つの目的がありました。それは、密山選手、道
崎選手の育成というもので、車のセットアップ、予選でのタイムアップを一人で行い、鈴木利男
選手、高橋毅選手はアドバイスのみを行なう、これが二人には結構大変だったようです。
メカニックの方はというと・・・なんだか順調なすべりだしで、ちょっぴり余裕をかましておりまし
た。・・・・・が、これで終わるはずがなく・・・やっぱり・・・・・・。

2001年11月3日予選
トップへ
トップへ
戻る
戻る



inserted by FC2 system